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学校教育で手書きは生き残るのか?その1

俳句を作るときはどうしてスマホじゃダメだったんだろう?

学部生で、「手書きの効果」を研究している人がいる。「デジタル入力(キーボードやフリック入力)と手書きの違い」に関する先行研究をよくよく調べているのだが、デジタル入力の歴史が浅いせいか、その違いに関しては「単なる研究者の感覚」レベルで終わっているものが多い。その研究者のデジタル入力経験が浅いから、「だんぜん手書きの方がいい」としているのだ。


50も半ばを越えた私は、約30年前からキーボード入力をしていた。ワードプロセッサー(ワープロ)が生まれたときは、大学生だった。大学の卒論は手書きだったから、その後仕事について、自分でワープロを購入し、仕事で作成する文書は、自腹で買ったワープロで作るようになった。


そうなると、手書きの比率よりもデジタル入力の方が高くなる。人生の半分以上デジタル入力がメインとなった。一方、ほぼ毎日手書きで日記を書いているから、手書きをしない日というのは無く、ハイブリッドということになる。


ワープロを購入した手の時、オリジナルの長い文章を書くときは、まず手書きをして、その後その下書きを見てデジタル入力をしていたものだが、今はこのブログ記事は、何の下書きもなく入力している。デジタル入力だけで文章を書けるようになっているのだが、先日授業で句会を催し、締め切りまでに俳句3句を作らねばならなかったとき、スマホで下書きしようと思ったら、全くダメだった。いそいそとノートと鉛筆を用意し、そこにメモを書き、案を書き、それを消し、なんとか俳句3句をひねり出した。


ゼミ生に聞くと、教員採用試験の勉強や、その他のいわゆる「テスト」勉強は、手書きでしないとしっくりこないというのだ。それはなぜだろう?人とのコミュニケーションで、スマホを使ったデジタル入力は、文を書くことのほとんどを占めている学生でも、勉強時には紙にペンで書いている。


ここに「手書きの効果」を研究するヒントがある気がする。

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directed by 片桐史裕

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