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ツッコミの効果 その1

「問いを立てる」以前に「もやっとする」、「ツッコむ」という状態があるのではないか?という仮説から、「ツッコミを入れてみよう」という課題を研究している。

学校の授業では、ほとんどが、「与えられた問いに答える」というもので、「問い待ち」状態の学習者がたくさんいる。しかし、学びというのは、自ら問いを立てることができなければ成り立たない。自分がわからないところを見つけて、「なぜ?」と思い、「こうなのでは?」と仮説を立て、検証していく。これでわからないところがわかるようになる。


そもそもこの「ツッコミを入れてみる」という研究は、「デジタルシチズンシップ」の研究から派生したもので、あらゆる情報を鵜呑みにして、デマが広がり、思考停止が起こって、民主主義社会が揺らぐ事態を止めるためには、「情報を疑う」という態度を育まなければならない。


しかし、学校教育では、教科書を鵜呑みにして、それを無批判的に覚えて、吐き出す訓練が多くを占めている。これでは、情報を疑う態度は生まれない。「メディアリテラシー教育」もされているが、「いろんな情報を疑ってみることが必要だと思いました。」という、教えを無批判的に鵜呑みにして幕を閉じる。本当に疑うということはどういうことかを体感できないままなのだ。


かといって、「疑え!」「疑問に思え!」と言ってもなんの経験も無い場合は、それが難しい。先行研究でも「問いを立てる授業をしたら、こんな効果がありました。」というものは多いけれど、「どうやったら『問い』が生まれるのか?」ということをあつかったものは皆無だった。ほとんど、「問いを立てる機会や時間を確保する」というものばかりだ。問いを立てたことがない人に問いを立てる時間を与えてもぽかーんとするだけ。


高校教師時代、現代文の教科書で、「おや?」と思うものなんでもいいから紙に書いて提出、それをもとに授業を組み立てることをしたが、疑問や問いがバシバシ出るようになるのには、3カ月〜半年の時間を要した経験がある。


生徒にとって「問い」を立てるハードルはちょっと高いが、「ツッコミ」を入れるのは、生活の中にあるのではないか?と思い、「ツッコミを入れてみよう」という形で文章を読ませる実践を研究生が行っている。そして、ツッコミには「表のツッコミ」と「奥のツッコミ」があることが分かってきた。


なんだかお笑い研究者になりっつあるのだが、個人ゼミでは結構面白く対話ができている。

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directed by 片桐史裕

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