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ツッコミの効果2〜断言と反復と感染〜

NHK「100分 de 名著」の11月は再放送のル・ボンの「群衆心理」なのだが、集団を先導するためには「断言と反復と感染」を使えばいいと言っていた。その流れに棹さすのが「ツッコミ」なのでは?と気づいた。

簡単な分かりやすい言い切ったフレーズを何度もくり返すことで、思考停止を起こさせる。そのフレーズは、みんなに分かりやすく、モラルに反したものではなく、人々の感覚にすんなりと受け入れられるようなものだ。そしてそれをくり返すことで、人は、他の人に伝え、どんどん広がっていく。


最近の例でいえば、「アメリカファースト」(ちょっと古い?)とか、ヒトラーが使った言葉で言えば、「ドイツのために」だ。最近日本では「既に議論がくり返されているように」という言葉を(くり返されていないのに)政治家が何度も言っていると武田砂鉄は述べていた。


そりゃあ、「自分たちのために」と言われれば、言われている人は心地が良くなる。これが何度も大きな声でくり返されれば、価値観がそれだけになる。フランス革命では、「大衆のために」というフレーズで、貴族が多数虐殺された。ル・ボンは、それを経験してこの書を書いたという。


それはそうかも知れないけれど、「ちょっと待てよ」と言うのがツッコミである。教育界では「子どもたちのために」というフレーズがずいぶん昔から蔓延していた。労働時間が長い、残業代が出ない、それでも「子どもたちのために」我慢せよ、ということだ。


なぜこのフレーズが何十年もツッコミが入らず、「大感染」していたのか。ル・ボンは、「大衆のために」というフレーズに「棹をさす」と、自分が「大衆」の枠から外れ、攻撃が自分に向けられるかもしれないから、何も言えなくなっていたという。


「大学受験のため」、「偏差値アップのため」、「学力調査のため」なんていう簡単なフレーズが教育界で使われているのに対して、「ちょっと待て」とツッコミを入れられなければならないはず。教育とは、人間を「複雑にする(=成長する)」ためのものだから、簡単なフレーズで、一方向に持っていくことに対しては抵抗しないといけない。


だから私も簡単な分かりやすいフレーズは使わず、それぞれがそれぞれで考えて、それぞれの方向に行ったり戻ったりする人間(教師)を育てたいと思っている。


国語科での「ツッコミ」実践の話にすると、「この文章はこんなことを言っている!」と教えられても、国語科の授業にはならない。「こうかな?」「ああかな?」「分からないや。」「ちょっと保留しておこう。」「あ、あの時に読んだ(言っていた)のは、こういうことだったのか!」という内田樹の言う「中腰」を続けられる「読む力」を国語科授業で付けられたらいいと思っている。

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directed by 片桐史裕

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